「映像ミエカタDIY」は当たり前のものとして受け取っている映像の効果について、身近な素材を取り上げながら、改めてその面白さを確認していくシリーズです。今回は夏休みシーズンということで、「感情と向きあうための映像表現」と題してこの夏公開のアニメーション映画『インサイド・ヘッド2』を取り上げていきます。
ケルシー・マン監督作品『インサイド・ヘッド2』
『トイ・ストーリー』『モンスターズ・インク』『マイ・エレメント』など、イマジネーションあふれるユニークな“もしもの物語”を描き、数々の心温まる感動を全世界に贈り届けてきたディズニー&ピクサー。誰も見たことがない頭の中の感情たちを描き、第88回アカデミー賞長編アニメーション賞を受賞した感動作『インサイド・ヘッド』の続編『インサイド・ヘッド2』が、2024年8月1日(木)に日本公開が決定!
少女ライリーを子どもの頃から見守ってきた頭の中の感情・ヨロコビたち。ある日、高校入学という人生の転機を控えたライリーの中に、シンパイ率いる<大人の感情>たちが現れる。「ライリーの将来のために、あなたたちはもう必要ない」―シンパイたちの暴走により、追放されるヨロコビたち。巻き起こる“感情の嵐”の中で自分らしさを失っていくライリーを救うカギは、広大な世界の奥底に眠る“ある記憶”に隠されていた…。
どんな感情も、きっと宝物になる―ディズニー&ピクサーが贈る、あなたの中に広がる<感情たち>の世界。(YouTube公式予告編キャプションより引用)
この映画の発明はなんといっても、主人公である少女ライリーの頭の中を舞台に、それぞれ擬人化された複数の感情が主人公の幸せのために活動するというアイデアにあるでしょう。
原題が”Inside Out”(裏返し、中側が外に出ている状態)であることからもわかりますが、物語の発端はもちろん主人公ライリーの体験にあるのですが、その中心は頭の中で起こる感情たちの冒険。その時頭の中の感情は一体どうなっているのかということが全面に描かれています。
もちろん感情について現在科学的に明らかになっていることが、そのまま「正しく」描かれているわけではないと思いますが、誰もが(劇中では、主人公以外の登場人物の「インサイド・ヘッド」も時折描かれる)抱える感情を、このようなアニメーションで表現することは、観客一人一人が自身の感情について愛着をもって引き受けるための機会にもつながるはずです。宣伝コピーにある「どんな自分も、まるごと好きになる」はまさにそれを言い表しているのではないでしょうか。
セルフケアの物語
個人的にとても面白く感じたのは、「観客一人一人が自身の感情について愛着をもって引き受ける」ことを促す、あらゆる年齢の人に向けたセルフケアの物語である作品が、「いい」を増やして「わるい」を除いていくような効率的な自己改造や急進的な自己啓発に対してのある種の批評的なスタンスを取っている点です。
『インサイド・ヘッド』では前向きであることを善とするあまりに、感情たちの間でも排除の対象と見なされていた「カナシミ(悲しみ)」という感情が、実はいかに大切なものであるかということが描かれています。
『インサイド・ヘッド2』では、思春期になって新たに登場した感情が、ネガティブ(だとされる)な経験を記憶から取り除いて、ライリーの自己実現のためにポジティブな経験のみから作られる「自分(らしさ)」を構築しようとすることで、ライリーの頭の中でも外でも様々な問題が生じることになります。
セルフケア自体が自己啓発の流れの中に位置づけられるものでありつつも、個人の感情の遍歴のようなものを、効率的な切り貼りのしがたいものとして、そこにあることを確認する。「直す」ではなく「そこに様々な感情に彩られた記憶や経験がある」と愛着をともなって知ることの大切さ。『インサイド・ヘッド』がメンタルヘルス時代とも言われる現代社会に向けて、とても意識的に取り組まれた作品であることが窺い知れます。
さらに、そういった感情による彩りが自分だけではなく、誰にでも起きているということまでもが表現の射程として意識されているのも、とても大切なポイントかもしれません。
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セルフケアの物語を、劇場で偶然そこに集まった人々と見る。映画を見終えた時には自分自身の感情だけではなく、周りにいる人々の感情までも、ある種の愛おしさをともなって意識できるような気分になることには、劇場での観賞も含めた形の映画というメディウムの可能性を改めて感じました。頭の中の感情たちをキャラクターに仕立てるという飛びっきりのアイデアが形になった『インサイド・ヘッド2』、皆さまも機会ありましたらぜひ劇場に足を運んでみてはいかがでしょうか。(了)