「映像のミエカタDIY」は当たり前のものとして受け取っている映像の効果について、身近な素材を取り上げながら、改めてその面白さを確認していくシリーズです。
今回は「猫とアニメーション映画の最前線」と題して、3月に発表された第97回アカデミー長編アニメーション賞の受賞でも大変話題となったラトビアの映画作家ギンツ・ジルバロディスによる『Flow』を取り上げます。商業ベースの長編アニメーション映画が、作家性を追求するためのアートフォームになりうること。その上で、人間の物語を託すことなく、擬人化を極力控えた形で猫をはじめとする動物たちの物語を描くことを実現しているのは、大変注目に値することです。
長編アニメーション映画が作家のアートフォームになること
昨今、大規模な制作チームと費用が必要とされる長編アニメーション映画において、前作『Away』がそうであったようにジルバロディス監督は単独でのアニメーション制作をベースとしています。今作『Flow』では小規模なチームを率い、無料の3D制作ソフトウェアBlenderを使用することで、作家自身の美学を色濃く反映させた作品を作り上げました。これは、長編アニメーション映画が作家の表現手段として成立することを証明した、非常に重要な出来事と言えるでしょう。
『Flow』の映像は、「インディーズゲームのようなルック」と評されることもありますが、その独特な映像表現や手持ちカメラのようなカメラワーク、そして監督自身が手掛ける劇中音楽など、すべての要素が作品世界を構築するための過不足のないデザインとして機能しています。
多くのスタッフが関わる制作体制では、これらの要素を監督が完全にコントロールすることは困難です。そういった意味でも、ディズニー/ピクサーの『インサイド・ヘッド2』やドリームワークスの『The Wild Robot』といったハリウッドのメジャー作品を抑えて『Flow』がアカデミー長編アニメーション賞を受賞したことは、非常に意義深い出来事でした。
猫を猫として描くことの試み
『Flow』のもう一つの注目すべき点は、主人公の黒猫をはじめとする動物たちの描き方にあります。擬人化を極力抑えて描かれた猫たちは、ギンツ・ジルバロディス独特のセリフのない映画世界(大洪水後の人間がいなくなった世界)を冒険します。猫は二足歩行をしたり、笑ったりすることはありません。鳴き声には実際の猫の声を使用し、猫を猫として描くことへ。
動物をそのままの姿で描いた映画としては、ロベール・ブレッソンの『バルタザールどこへ行く』のロバ、バルタザールや、『魔女の宅急便』の黒猫ジジが思い出されます。しかし、『Flow』とこれらの作品の大きな違いは、物語を牽引する人間の視点や言葉がないことです。
『Flow』では、動物たちが動物として行動することで物語が進行し、人間はスクリーンを眺める観客としてのみ存在します。決して写実を追い求めるようなタッチではありませんが、そのように「猫を猫として描く」ことで、観客はまるで一緒に暮らす猫を眺めているかのような親近感を覚えます。
・
人間の物語を託すことなく、動物たちの物語を詩情豊かに描いた『Flow』は、ギンツ・ジルバロディスの作家性が存分に発揮された長編アニメーション作品です。それと同時に、留守番をしている猫に会いたくなり、見終わったらまっすぐに家へと帰りたくなるような素晴らしい猫映画でもあります。ぜひお近くの映画館でご覧になってはいかがでしょうか。
(了)