「映像のミエカタDIY」は、当たり前のものとして受け取っている映像の効果について、DIY(Do it yourself→自分でやってみよう!)を合言葉に、リモートワークの環境下で身近なものを素材として取り上げながら、改めてその面白さを確認していくコンテンツです。
#06では「日常にある特別な色と光(後編)」と題し、前号で取り上げた「夕陽」が沈んだ後に現れる独特の光と、そういった自然の光の条件を効果的に作品に取り入れた映画『ノマドランド』を取り上げます。
夕陽の沈んだ後の僅かな時間
前号では夕陽の独特の光の効果について、私たちが日常的に基準の光として参照している昼光と比較して取り上げました。僅かな時間の間に昼光とは対照的な光の効果が現れることが、多くの人々にとって夕陽の光の状態が特別美しいものという印象を与えるのではないか。そのようなことをご紹介しました。
今号でご紹介するのは、夕陽の沈んだ後の時間の光とその効果についてです。当然日没後は太陽から直接の光が当たることはありませんが、大気からの反射による薄く弱い光で辺りは照らされ続けています。日が沈んだ後のオレンジから紺のグラデーションを伴った空の色と合わせて、その時の光の効果は、夕陽の時とはまた違う独特な様相を呈しています。
マジックアワー
写真や映像の撮影用語では、そのような光の効果が現れる短い時間のことに「マジックアワー」という名前がつけられています。昨今では一般にも使われており、ご存知の方も多くいらっしゃるかと思います。
マジックアワーという言葉が指し示す光の条件には、広く共有された厳密な定義があるわけではありませんが、一般的な理解としては夕暮れから日没後、空のグラデーションが消えるまでの短い時間における光の状態を表す言葉と考えて差し支えないものです。
影のない時間
では、マジックアワーに特徴的な光とその効果とはどのようなものでしょうか。
夕陽のそれとは一体何が違うのでしょうか。
1番の違いは、太陽光が直接被写体を照らす夕陽に対して、日没間際〜日没後の時間帯であるマジックアワーは太陽光が直接的には被写体を照らさないことにあります。これにより夕陽が低い角度で作り出すような影が生じなくなり、空のグラデーションはより鮮明になります。
夕陽の作り出す強い陰影は撮影に良くも悪くも劇的な印象を与えますが、マジックアワーの作り出す影のない光の環境は、美しいクラデーションの空を背景としてより繊細な撮影表現を可能にします。
この違いは撮影時に限って認識できるものではありません。夕方からマジックアワーの時間帯を野外で過ごしてみると、夕陽に照らされ劇的な影を伴っていた風景からいつのまにか影が消え、オレンジから濃紺の美しいグラデーションの空に目が奪われる、そんな瞬間に立ち会うことができるはずです。
映画『ノマドランド』とマジックアワー
映画『ノマドランド』は、60代の女性ファーンが2008年の世界的な経済危機の影響により亡き夫との思い出の家を失い、車上生活をしながら各地の季節労働の現場を渡り歩く姿、そして行く先々で出会う人々との交流が描かれています。世界の名だたる映画賞を受賞した2021年前半を代表する映画ですが、この作品においてもマジックアワーでの撮影がとても印象的に用いられています。
こちらの動画ではクロエ・ジャオ監督と撮影監督ジョシュア・ジェームス・リチャーズが、本作に特徴的な野外での撮影について紹介しており、その中では太陽が山の向こうに沈んだマジックアワーにおける撮影についても口にしています。それと同時に、作品においてそのような撮影がいかに重要で、主人公の旅の生活に重ねた「感情の旅」を表現可能なものとしていると語っています。
様々な場所での労働やキャンプ場にて人々と交流する日中の時間と、車の中のベッドで過去の記憶や自分自身と向き合う夜の時間。主人公ファーンの1日の生活の中に存在するパブリックとプライベートの間の行き来と、そこに伴う感情的な揺れを、その間に存在するマジックアワーの時間帯での繊細な撮影によって表現する。
この映画におけるマジックアワーでの撮影が単純な美しさの表現にとどまらず、作品に必要不可欠な表現として機能し、物語と撮影コンセプトが過不足なく高い位置で一致した状態であることにとても感銘を受けます。
『ノマドランド』の劇場公開は既に終わっていますが、各配信プラットフォームで視聴が可能です。皆さまもぜひマジックアワーでの繊細な映像表現を『ノマドランド』で味わってみてはいかがでしょうか。
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「映像のミエカタDIY」では今後も日常的なモチーフから映像の効果、そして映像表現と方法の組み合わせについても考えていきたいと思っています。お読みいただく皆さまの映像の取り組みの参考になりますと幸いです。