「映像ミエカタDIY」は当たり前のものとして受け取っている映像の効果について、身近な素材を取り上げながら、改めてその面白さを確認していくシリーズです。
映画の起源としてのリュミエール兄弟
今回は「見ることの自由」をキーワードに、フランスのリュミエール兄弟の作品について取り上げます。来年2025年は映画誕生130周年の節目にあたりますが、その起源は1895年12月28日に行われた彼ら映画作品のスクリーンへの投影による有料上映であると考えられています。
そのタイミングに合わせるかたちで、日本では先月からリュミエール作品を紹介するドキュメンタリー映画『リュミエール!リュミエール!』の先行上映が始まっています。この作品はリュミエール研究所が制作し、大変話題となった『リュミエール!』(2017年)の続編となるものです。
製作者の意図を越えて、あらゆるものは平等に映り込む
それぞれのドキュメンタリーは、19世紀末から20世紀初頭に残されたリュミエール兄弟によって製作された1本50秒ほどの長さの作品1422本から、4Kデジタルで修復された100本!以上の作品を解説付き見せていくものですが、その数々の作品を見ている間に抱く感覚は「見ることの自由」です。
4Kデジタルで修復された映像はいかにそれぞれの作品が厳密に構図を決定して撮影されているか、その美しさを改めて実感させるものですし、解説ナレーションは演出の意図を的確に伝えてくれます。しかし、50秒の作品の中にはそれを越えて見る者の視線を惹きつけるものが無数に登場します。
据置されて不意に動くことのないカメラの前では、意図もハプニングもそこにあるものは平等に記録されて、見る者はその一つ一つに視線を奪われていきます。たとえば、赤ちゃんの食事風景を撮影した作品『赤ん坊の食事』を前にしながらも、私の視線は風に揺れる木立や赤ちゃんのよだれ掛けの美しさに惹きつけられたりするのです。
リュミエール兄弟、そして彼らが派遣した撮影者たちによって、世界各地が映像に記録されましたが、いずれの作品を見てもそのような体験がそこには存在しています。知らない世界や文化と出会うことの豊かさと、それぞれの作品の意図を越えたところに存在する「見ることの自由」、その両方がリュミエール作品にはあります。
一方、このリュミエール作品の50秒の短い映像は、TikTokをはじめ、YouTubeや各種映像プラットフォームで展開されるショート動画とも重なる形式でもあります。リュミエール作品に存在する「(意図を越えてしまう)見ることの自由」とは対照的に、伝えたいことを短い時間でいかに効果的に伝えるか、そのことに製作者が注力することで、現代の映像は「見ることで過不足なく意図が伝わる」メディウムへと役割を劇的に変えてきています。
何が正しいかを考える必要があるかはわかりませんが、姿を変えていく映像メディアの中心にあるショート動画を別の視点で見直してみる意味でも、リュミエール作品はいままさに向き合うべきものなのかもしれません。
『リュミエール!リュミエール!』は現在全国の劇場で公開中、『リュミエール!』は各種配信プラットフォームから視聴可能です。 50秒間の見ることの自由、ぜひ体験してみてはいかがでしょうか。(了)