「映像ミエカタDIY」は、当たり前のように受け取っている映像の効果について、身近な素材を取り上げながら改めてその面白さを確認していくシリーズです。今回はノルウェー出身のダーグ・ヨハン・ハウゲルード監督による3部作の特集上映「オスロ、3つの愛の風景」と、エリック・ロメール監督作品からの影響について取り上げます。
ダーグ・ヨハン・ハウゲルード監督による3部作、『DREAMS』、『LOVE』、『SEX』が「オスロ、3つの愛の風景」としてこの9月より特集上映されています。映画祭などの機会を除き、日本でダーグ・ヨハン・ハウゲルード監督作品が公開されるのは今回が初めてとのことです。
『DREAMS』が第75回ベルリン国際映画祭でノルウェー映画史上初の最高賞<金熊賞>を受賞するなど世界的な注目を集めている3部作ですが、多くのメディアがエリック・ロメールからの影響を指摘しているのが個人的に気になっており、私も実際に劇場で『SEX』を観てきました。
第74回ベルリン国際映画祭でエキュメニカル審査員賞を含む3部門を受賞した『SEX』は、愛と欲望、そして現代のセクシュアリティを巡る議論の火蓋を切りました。
この作品を語る上で欠かせないのが、ハウゲルード監督の作風に繰り返し指摘される「エリック・ロメールからの影響」です。ロメールはフランス、ヌーヴェルヴァーグの代表的な巨匠ですが、なぜ現代オスロの物語がその哲学を必要とするのでしょうか? それは、映画という装置を通して、私たちが物事を「どう見るべきか」という倫理に深く関わっているのです。
説得を拒否する「非教訓的な」映画体験
『SEX』は、現代の人間関係、セクシュアリティ、そして社会規範というテーマを扱っています。興味深いのはそのアプローチが徹底して「非教訓的」であるという点です。監督は、愛や性における規範と葛藤を描きながらも、特定の教訓や道徳的な結論を観客に提示するつもりがないように思えます。会話の多さよりもこういった姿勢に、エリック・ロメールからの影響を感じることができるのかもしれません。
ロメール映画の特徴は、しばしば「会話劇」とされますが、それは「和解なき会話劇」といえるようなものです。登場人物たちは自身の欲望や主張、哲学を徹底的に語り合いますが、互いの立場を完全に理解したり、和解したりすることなく、平行線を辿ったまま会話を終結させます。ロメールはそれによって作品内で道徳的な判断を下すことを厳格に拒否しました。その結果、観客は倫理的な空白に直面させられ、スクリーン上の行動を眺めることを強いられます。それは例えるならば、人間が口を挟む気も起きない神々のやりとりをただ眺めるようなものとして観客に体験されます。
理解を急がずに眺めること
ハウゲルード監督の『SEX』が面白いのは、「神々のやりとり」のように超越することなく、現代を生きる人々がセクシュアリティや愛について悩んだり語ったりする様をそのままに眺めることを提案している点です。とても落ち着いた構図、完全にコントロールされた色調、そういった映像的な要素の一つ一つも、安易な理解を求めることなく眺めることを観客に促す要素だと言えるでしょう。
個人的な体験を包み隠さずにお伝えすると、ロメール作品における神々のやりとりには目が釘付けになるけれども、ハウゲルード監督が描く人々が悩み語り合う姿にはところどころ瞼が重くなり時間が経過していることがありました(少し眠ってしまいました)。眠ってしまったことは残念でしたが、その時間の経過こそが映画館で自分のコントロールできない誰かの物語を目の当たりにしている証でもあるのかもしれない。そんなことを感じられたのも印象的な出来事でした。残り2つの作品を観ることも楽しみにしています。(了)