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「一つのコンテンツを掘り下げる!スタッフはどう捉えたか!①リュミエール編」【ドリームムービー通信:第131号】

今号より「一つのコンテンツを掘り下げる!スタッフはどう捉えたか!」の座談会をお送りいたします。

まずは映像の原点であるリュミエール兄弟(兄:オーギュスト・リュミエール、弟:ルイ・リュミエール)制作による以下の作品についてお話しします。

リュミエール, 波止場からの飛び込み

リュミエール, 赤ちゃんの食事

リュミエール, 工場の出口

〜リュミエール兄弟について〜

1894年のパリで、エジソンが発明した「キネトスコープ」を目の当たりにした父アントワーヌが、息子たちへ動画制作を進めたのがきっかけとなり、その後二人は様々な動画を制作していきます。

兄弟は世界初の実写映画『工場の出口』を撮影し国策産業振興協会において、それを上映。

全長17m、幅35mmのフィルム、1本約50秒、現在の映画の原点ともなる演出、移動撮影、トリック撮影、リメイクなど多くの撮影技術を駆使した作品は、その当時の世界中の人々を驚かせ興奮させました。

その後、世界で初めての有料上映会を開催し、大成功を収めます。

制作された映画は、全部で1422本。
1本50秒程度の長さで、合計すると20時間に及ぶ。
いまだに未公開の作品もあれば、制作された時代に上映され、以後上映されていないものもあるそうです。

そして、そこに描かれているのは、あの頃から現代に至るまで変わりのない人々の生きる姿…

藤村:今回はリュミエール兄弟による映画創成期の作品を取り上げてみたいと思います。
『工場の出口』や『ラ・シオタ駅への列車の到着』は映画史では必ず触れられる作品で、今なお映画・映像制作におていは参照され続けている重要な作品です。

今の時代から見れば当時の生活が窺い知れるといった歴史的な記録としての面白さもありますが、19世紀終わりの当時の上映会では駅へと向かってくる列車の映像に観客は大変驚いたというエピソードも伝えられています。

目の前の映像を光学的に映し出す装置は映画以前から存在していましたが、映像が記録可能なものとなり目の前にあるはずのないものが映し出され、あたかもそこに存在しているように体験可能になったことは人類の歴史上でも大きなトピックであったと言えるはずです。

しかし、そのような歴史的な意味合いを抜きにしても、三脚に据え置かれたカメラでの1分にも満たない映像になんとも言えない魅力を感じます。

今回は映像を言語化する試みとして当社のスタッフがそれぞれどんな視点でリュミエール兄弟の映画を受け止めているかを、話してみました。

神代:上映当時の人々と同じ衝撃、感動はもちろん無理なのですが、ストーリーという概念がないころの実験フイルムと分かっていても、なぜか物語を感じてしまいます。

『波止場からの飛び込み』は子供たちの中に一人体格のいい女性?(子供なのかもしれません)が子供たちと同様にはしゃぎ、繰り返し飛び込みを行っています。

この女性と子供たちの関係は?楽しく遊んでいるように見えて、実はこの女性に虐待されているのでは… 他の2つの作品にも言えることですが、単調に見える繰り返しの動作と、時折入る別の事象が、私には「恐怖」を連想させます。本来意味のない事象もある条件がそろうと、※パレイドリア現象のように、人の脳は意味を求めて、自身に都合のよいストーリーを作るのかもしれません。

※パレイドリア現象とは、心理現象の一種。視覚刺激や聴覚刺激を受けとり、普段からよく知るパターンを、本来そこに存在しないにもかかわらず心に思い浮かべる現象を指す。パレイドリア現象、パレイドリア効果ともいう。

もちろんリュミエール兄弟は意図していないと思いますが、現在の映像表現に繋がる確かなものを感じます。

荻本:上映としては一番最初だったという『工場の出口』を観て最初に感じたことは、ドキュメンタリーとはいえ、本当に終業時間を待って撮影したわけではないですよね恐らく。

一気に人が出口から出てきて、倒れそうになる自転車とか、慌ててどこに行くの?という走り去る犬が妙に目に付きましたね。何かすでに演出のようなものがあって、50秒の中に詰め込んだという印象、ただの記録映像と思えなかったです。

でも何回も撮れなかったでしょうから一発OKだったんだよね、というような、少し撮影現場を想像してしまいましたね。
※実際にリアルな終業シーンかも知れませんが…

藤村:何をドキュメンタリーと呼び、演出とするのかは様々な意見があると思いますが、実際はどうだったんでしょうね。

1分弱のワンシーン・ワンカットを、大きなカメラを三脚に設置して撮影しているので、偶然に撮影したわけではないのでしょう。

そういう意味では、彼らが制作した数多くの映画に登場する場面がどのような意図で選ばれたのかは興味があるところですし、リュミエール兄弟だけではなく、創生期の映画の多くには世界を映像で記録することが可能になった喜びや、映像に収めたいという強い欲求のようなものが感じられるように思えます。

伊藤:私は当時の人たちの暮らしぶりが、実際に動いていて見ることができることに感動を覚えました。
写真や肖像画と違い、映像は当時の表情や動きなどが生々しく見えます。

歴史好きの私としては、当時日本は明治時代だと思うのですが、人々の衣服の綺麗さなど、西洋と東洋の違いもよくわかります。

こうして映像だけを見ていると過去も未来も無く、そこに人間の生活の場があり、人間が生きているのは過去も未来も同じだという感想を持ちました。

短い映像だからこそ、観る人の感性によって、捉える違いが出る。
何かを後世に伝えられる映像の力は凄いですね。

藤村:以前一眼カメラの話題の中で、ピントを合わすこと/ボカすことにより人間の視覚に近い形で画面上の見るべきものを提示することが可能になるという話をしました。

それと対照的に今回取り上げたリュミエール兄弟の作品は、カメラが動かず、ピントが全面に合っている状態です。そこにあるのは人間的な視線を模した映像ではなく、カメラでしか捉えられない映像です。

そのようにレンズに映り込むものを等価に記録するスタイルにより、その映像の中に視聴者が何を見るのか、その辺りの自由度は高くなるような気がしています。

個人的な話をしますと、私は今回ご紹介している『赤ちゃんの食事』を見ていると、おそらくはその主題から逸れた部分である「赤ちゃんのよだれ掛けが風に吹かれて揺れている」ところに目が釘付けになってしまいました。

荻本:今回紹介したリュミエール兄弟作品は、その撮影の方法がとてもシンプルですよね。この方法で現代の私たちが撮影をしたら一体どうなるのかという興味も湧きました。

藤村:今日の映像教育の場面ではリュミエール兄弟の手法を用いた授業やワークショップが行われています。

私も実際に現代美術の授業で学生と一緒に三脚にカメラを設置し1分間の映像を撮影・上映するワークショップを行ったことがあります。
撮影条件が同じなので、その分撮影者の個性が出てとても面白かったです。

このようなシンプルな撮影は、スマホのカメラでも取り組むことができますし、映像制作そして”映像を見ること・言葉にすること”への入り口にもなるとおもいますので、皆さんもぜひ一度お試しになってはいかがでしょうか。

次回はまた別の作品について話します。
お楽しみに。

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