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「映像のミエカタDIY #09:ライブパフォーマンスの一回性と映像表現について」【ドリームムービー通信:194号】

「映像のミエカタDIY #09:ライブパフォーマンスの一回性と映像表現について」【ドリームムービー通信:194号】

「映像のミエカタDIY」は、当たり前のものとして受け取っている映像の効果について、身近なものを素材として取り上げながら、改めてその面白さを確認していくコンテンツです。今週来週の2回に渡り、映像で表現された音楽についてご紹介していきます。

今週は昨年日本国内でも大きな話題になった映画『アメリカン・ユートピア』( https://americanutopia-jpn.com/ )を取り上げ、音楽のライブパフォーマンスの一回性を映像表現としてどのように提示することが可能なのか考えてみようと思います。

『アメリカン・ユートピア』について
スパイク・リー監督による映画『アメリカン・ユートピア』は、2018年以降行われているデヴィッド・バーンによる同名のブロードウェイショーを映画化した作品です。実際のブロードウェイでの公演を丸々収録した本作品は日本国内でも昨年公開され、大きな話題になりました。
そのコンセプトや内容については詳しく触れませんが、劇中のバーンの言葉を少し拾い上げてみます。

「このバンドは多国籍で僕も帰化した人間です/スコットランドから幼い時に移住した/皆、出身地はブラジル、フランス、コロンビアなど/移民なしにはどうにもならない」

「これは”みんなが僕のうちに来る”という題の曲です/お聴かせするのは僕のヴァージョンですが…/そのヴァージョンでは歌い手が家に人が来るのを微妙に快く思っていない/歌詞になくともその心情が感じ取れます/“いつ帰るんだ”と/対照的に(とある高校の)合唱部のヴァージョンは歌詞もメロディーも変えていないのに誰でも温かく迎え入れる包容力があるんです/僕もそっちがいい/どうしたらいい?」

「(*ジャネール・モネイの曲”HELL YOU TALMBOUT”を歌う前に)彼女がウィメンズマーチで歌うのを見て連絡しました/“年配の白人の男がこの曲を歌ってもいいか”と聞いてみたんです/そしてこの通り快諾してくれた/“全人類に向けた曲だから”と/このプロテストソングは鎮魂歌でもある/理不尽に奪われた命を弔う/可能性についての歌でもあります/変革の可能性です/不完全な世界での変革だけでなく、僕個人にも内なる変革が必要なのです」

劇中のこのような語りからは、多様性の時代における、ある種の逆行とも受け取れる当時の政権の取り組みに対する抗いだけではなく、自分自身についても、その社会の不均衡を形作ってきた当事者であることを受け止めて向き合う姿を見出すことが出来ます。

『アメリカンユートピア』のエンディングに歌われるトーキング・ヘッズの”Road to Nowhere”の1曲を取り上げてみても、リリース時のミュージックビデオのモチーフである「家族」や「世代」が、このショーでは「開かれた/偶然の家族」を想起させるような人々の集まりへと置き換えられているなど、このような繊細な立ち振る舞いが、ブロードウェイというエンターテイメントの最前線においてチアフルな表現として成立していることにとても心を打たれます。

パフォーマンスの一回性を映像で表現する
映画『アメリカン・ユートピア』に話を戻しましょう。この映画を見通して印象に残るのが、全編を通してのカメラワークの多彩さです。使用しているカメラの台数からしても、一般的な劇場での公演や音楽ライブの記録映像や配信等の映像と比較すると大きな違いがあることに気がつきます。Netflix制作で配信がメインで公開され大変注目を浴びた映画『ROMA/ローマ』( https://www.netflix.com/title/80240715 )での仕事も記憶に残るアダム・ゴフによる素晴らしい編集も、多数のカメラによる豊富な撮影素材を前提としたものです。

付け加えて、そのカメラワークの多彩さとカメラの台数がある中で、映画全編を通して映像上でのカメラや撮影機材の映り込みがほぼ生じていない(観客席を歌い練り歩く最終曲のパフォーマンスを除く)ということも注目すべき点として挙げられます。これは舞台パフォーマンスを映像上で追体験する上で、非常に重要な要素になります。

明らかにステージ上でステディカムを使用し、パフォーマーに近接した映像が出てくるのに、次カットの舞台全体を捉えた映像では前カットのステディカムが映り込まない。しかし実際のところ、どうしたらそのようなことが可能なのかと疑問に思い、本映画の撮影について調べてみると意外なことがわかりました。

実はこの映画の制作のために3回の公演で撮影が行われていたのです。1回目の公演は11台のカメラ、2回目では10台のカメラ。そして3回目では特定の曲に対して、ステディカムやクレーンを含む5台のカメラで撮影が行われたそうです。この撮影のマネジメントが、撮影機材が映りこむことのない前述したようなカットのつながりを可能にしていたのです。

この事実は、舞台パフォーマンスの一回性を映像で表現すること自体を改めて考えさせるものでもあります。

私もこの映画をはじめて映画館で見た際には、前述した撮影方法についてはつゆ知らず、映像上のパフォーマンスを一貫したものとして認識し楽しむことが出来ました。それは「ある日ある場所」でのパフォーマンスを映像視聴しているのではなく、「いまここ」で一回性のパフォーマンスを目撃しているという強い実感を伴うものでした。

近年「アーカイヴ」「ライブ」、「配信」といった言葉を合わせて用いてしまう状況(ex:記録映像を生配信)がある中で、ある日ある場所で実際に行われた1回性のパフォーマンスを限られた条件で映像に記録することとは別に、映画『アメリカン・ユートピア』のように複数公演の記録からより精度の高い記録を用いた映像上の一回性のパフォーマンスを作り上げることには大きな可能性を感じます。そのような表現が、ギリシャ語の造語で「どこにもない場所」の意味がある「ユートピア」がタイトルに含まれている作品で実践されたことも示唆深く感じるところでもあります。

映画『アメリカン・ユートピア』は現在でも国内映画館での上映や、各配信プラットフォームでの視聴が可能です。最終的なアウトプットが映像での配信につがる場合にライブパフォーマンスにおける一回性をどこに設定するべきか。実際に映画『アメリカン・ユートピア』をご覧いただき、そのことについて改めて考えみるのはいかがでしょうか。

「映像のミエカタDIY」では今後も日常的なモチーフから映像の効果、そして映像表現と方法の組み合わせについても考えていきたいと思っています。お読みいただく皆さまの映像の取り組みの参考になりますと幸いです。

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